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仲直り

 『仲直り』050329

 帰り支度をしているところに、次女から電話が入った。
 就職試験が終わったので、待ち合わせをしないかというのだ。
 少し遅れて、わたしは待ち合わせの品川駅に向かった。
 電車の中で、夕飯を少々張り込んでやっても良い気がしていた。
 数日前に喧嘩をして以来、わたし達はまともな会話をしていなかったから。

 すばやく、頭の中でこ洒落た店を探した。
 「どこ行くの?」
 改札を抜けてからも、ずっと黙りこくっているわたしに、
 足早に追いついてきて次女が訊いた。
 「良いから、良いから。黙ってついてきなさい」
 高輪口に出て、プリンスホテルの方向へ道を横切った。
 「品川なんて下りたことがないから分からないよー」
 人ごみの中を、縫うようにして歩くわたしから離れまいと、
 次女は必死で就いて来る。
 少し意地悪なわたしを見つけて、戒めた。
 いけない、いけない。これでは仲直りにならないじゃない……。
 「で、試験はどうだった?」
 「あんまりできなかった」
 「そう?でもまだまだ、これからだから大丈夫だよ」
 「問題数が多いのに時間がなくて。数学は駄目だと思うし、やばいかな?」
 喧騒の中で、彼女の言葉を途切れ途切れに拾った。
 要は言い訳をしているのだ、と思ったけれど口に出さずに飲み込んだ。 
 
 「着いたよ。ここ」
 「へぇ、こんなところを知ってるんだー」
 早速メニューに目を通しながら、
 「少し高めじゃない?」
 次女は、真剣にメニューの中からリーズナブルなものを選ぼうとしている。
 「まぁね。たまには良いじゃん」
 「うーん。この飛び魚のなめろうって何?」
 「そうね。平たく言えば味噌と薬味を叩き込んだ、タルタルステーキ風かな?」
 「あ、これ食べたい!」
 「後は?」
 「イカの沖付け、水菜のサラダ、かぼちゃの素揚げ、玉子豆腐。
 お腹はすいてないからこんなもので良いかな?」
 彼女の好みは、酒飲みが好きな肴系なのである。
 そしてメニュー選びでは、ほとんどはずしたことはないのだった。

 「ご苦労さん」
 生ビールで乾杯をした後、これからの就職試験に臨む姿勢を話した。
 神妙な顔で聞きながら、
 「地方も受けてみたいんだけど」
 と言った。
 「良いよ、もちろん。自分が思う方向でどんどん当たってみたら?」
 「でも、母さんと離れて暮らすことになるかもしれないけど」
 「もちろん。それもありだから」
 少しほっとした顔をした。
 彼氏との諍いや就職活動で、彼女なりに悩んでいたのだろうか。
 それが、わたしとの喧嘩へと繋がった要因の一つでもあったのだ。

 帰りの電車で、前の席が一つ空いた。
 次女は、わたしを促したけれど、わたしは次女を座らせた。
 どうして?という顔に、
 「一日中慣れないヒールのパンプスを履いて緊張してきたんでしょう?
 母さんは通勤経路だから、特に問題なし。どうぞ」
 と、わたしが答えた。
 それでも、悪そうにして彼女は座った。
 「直に隣が空くから」
 わたしが耳元で小さく呟くと、「嘘ぉー」と言った。
 これは、単なるわたしの直感なのだけれど、二駅先で本当に空いた。
 「すごいね、母さん」
 ようやく安心したのか、わたしの肩に身体を預けて眠り始めた。
 
 わたし達は、決して謝りあい、仲直りしたわけではない。
 それなのに、この間の怒りが嘘のようにわたしの身体の中から消えていた。
 


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